角刈りデートクラブ

2020年10月10日3 分

思いを寄せる人が

思いを寄せる人が居ると言うのは幸せな事だと思う。
 
ヴァン・ヘイレンと言う言葉の響きは聞いた事はあったが、バンド名である事を先日のFacebookの皆の投稿で 初めて知った。リードギターのエドワード・ヴァン・ヘイレンという人が亡くなった… と言うことなのか?
 
それくらい音楽を知らないところで音楽を続けてきた。
 
多くの仲間のミュージシャン達がその偉大なミュージシャンを悼んでいた。
 
俺には一緒に悲しむ事も出来ない。
 
思いを寄せる人が居ると言うのは幸せな事だ。 
 
俺は、行き当たりばったりで歌う様になっていたからな…
 
一緒に悲しんで、一緒に昔しを懐かしみ、自分の青春時代と一体化した憧れの音楽を心の宝物として暮らしている…
 
そんな皆の姿を本当に羨ましく思う。
 
今の自分の音楽の根っこのところには、憧れのミュージシャンも憧れの音楽もない。
 
過去も現在も自分が現実に出会った人だっり、7、8 m くらいの距離感で見掛けた事のある人物の姿や生き様が、俺に歌を作らせている。
 
俺の歌は、つまり自分の周囲 7、8mくらいの所で起こった出来事から出来ていると言う事だ。
 
俺にとっての音楽の原風景があるとするなら…
 
鮮明に今でも脳裏に焼き付いている町田の路上で何度か見掛けた露店商のオッサンだろう。
 
並んでいる商品はインチキな品々ばかり。


 
だけど何と言うか…
 
これは偽物で無価値だとか
 
これは本物だからどうだとか
 
そんなご託など関係なく
 
『俺はこれを売って生きる』
 
と言う
 
圧倒的な現実がそこにあった
 
まだ17、8才だった俺には怖くてそのオッサンに話しかける事も近づく事も出来なかったが…
 
あれが 「生きる」 と言う事なのかもしれないと思った
 
往来する不特定多数の人々の中で商いしているその人の姿に憧れたのは確かだ。
 
そのうちに町田の風景からオッサンは姿を消したが、露店商をやってみたいなと俺は思う様になっていた。
 
そんな気持ちをモヤモヤと胸に秘めたまま、偶々遊びに行った友達宅にあったスケボーを「¥3000で売ってくれ」と言ったらた通販で昔に買った様な要らなくなったギターを押入れから出してきて、スケボーと抱きあわせで¥4000で売り付けられた。
 
それが俺の音楽の始まりである。露店商になりたい憧れと手に入れたギターが融合して22才の時にギターのコードもろくに覚えないままサラリーマンをしながら歌を作って路上で歌い始めた。
 
露店商への憧れがなかったらそもそも音楽をやっていなかったかもしれない。
 
今こうして音楽を続けてきて音楽の仲間が出来た時に
 
皆と一緒に悲しむ事の出来ない事が少し寂しい。
 
「それすら全て歌にして人様に体現していく事が、歌唄いのやるべき事なのだ!」と自分に言い聞かせて歌い続けている。
 
名も知らず言葉を交わした事もないあのオッサンが、町田の路上で商いをしてなかったら
 
俺は全く別の人生を生きていたかもしれない。
 

 

 

 

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